池袋駅〜立教大学界隈〜雑司ヶ谷鬼子母神〜
都電学習院下駅


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JR主催 東京まちあるき 第3回 若者でにぎわう池袋の周辺に名所を訪ねる 山手線 池袋駅 JR主催 東京まちあるき 第3回 若者でにぎわう池袋の周辺に名所を訪ねる 山手線 池袋駅 

池袋駅〜立教大学界隈〜雑司ヶ谷鬼子母神〜都電学習院下駅〜早稲田大学〜胸突き坂〜日本女子大〜雑司ヶ谷霊園〜池袋駅(総行程12.0km)
JR 山手線 池袋駅 JR 山手線 池袋駅 

メトロポリタン口は池袋の最も南側にある改札口である。
池袋西口 メトロポリタンプラザ 池袋西口 メトロポリタンプラザ 

西口の再開発で出来た東武デパートの新館が入っており、隣接してホテル メトロポリタンがある。
池袋西口 東京芸術劇場 池袋西口 東京芸術劇場 
立教商店街 歩道を飾る校章 立教商店街 歩道を飾る校章 

大学の名が付いた商店街は珍しくないが、歩道のガードロープの柱に立教の校章が付いているのには驚いた。
立教大学 応援部の看板 立教大学 応援部の看板 

2年前の平成15年、有楽町線沿線を歩いた時は、この看板は打倒早稲田だった。前年に春秋連覇し、15年も連覇で4連覇した早稲田に対し、立教は指定席の5位だった。もっとも、今年は法政、明治を破り、3位に躍進した。ちなみに早稲田は5校全てに勝った完全優勝である。
立教大学 正門 立教大学 正門 

明治7年ウイリアム主教により設立された立教学校を前身とする立教大学が、池袋の地に引越してきたのが大正7年。以来池袋には、「池袋モンバルナス」と呼ほれるほど芸術家や文人たちが多く住み活動の拠点としていた。現在も学生たちをはじめとする若者が行き交う活気ある町である。
立教大学 歴史的建造物 立教大学 歴史的建造物 

1.本館(モリス館)
2.図書館旧館
3.諸聖徒礼拝堂
立教大学 キャンパス案内図 立教大学 キャンパス案内図 

現在地の正門は、左端中央の赤文字の所である。文字の上の二つの緑の印は、大きなヒマラヤ杉で、左の青い建物が図書館旧館、すぐ上が本館(モリス館)、右が諸聖徒礼拝堂である。
立教大学 本館(モリス館) 立教大学 本館(モリス館) 
立教大学 図書館旧館 立教大学 図書館旧館 
立教大学 諸聖徒礼拝堂 立教大学 諸聖徒礼拝堂 
立教大学 立教大学 

青学(青山学院大学)と言い、立教と言い、赤レンガ造りのキャンパスは独特の雰囲気を持っている。
立教大学 セントポールズ会館 立教大学 セントポールズ会館 

東京六大学で、エール交換時に、相手校の校歌や、応援歌の替え歌を歌って応援部に注意された。
「三田の○魔、低脳」とか、「馬鹿だ」などであるが、立教も英語のSt.Paulに因み、「利口じゃ無い無い」などと歌っていたのをふと思い出した。
立教大学 セントポールズ会館 立教大学 セントポールズ会館 
劇場通りを渡り、池袋消防署脇を歩く。 劇場通りを渡り、池袋消防署脇を歩く。 
明治通を渡り東進 明治通を渡り東進 

裏道沿いに鬼子母神に向かう。
雑司ヶ谷鬼子母神 雑司ヶ谷鬼子母神 

鬼子母神は、都電荒川線の鬼子母神前駅からが表参道であるが、直接お堂から入ったことになる。
鬼子母神堂は、安産・子育ての神様である鬼子母神を祀るお堂として、多くの人々に親しまれている。もともとは多くの子どもを持つインドの神様だが、近所の幼児を捕って食べるため、見かねたお釈迦さまが一番末の子どもを隠したところ、嘆き悲しんで今までの過ちを悔い、安産・子育ての神様となったと言う。
都電荒川線 鬼子母神前駅 都電荒川線 鬼子母神前駅 
目白通りを渡る。 目白通りを渡る。 
目白不動 金乗院 目白不動 金乗院 

金乗院は開山の永順が観音堂を築いたのが草創とされ、文禄3年(1594年)以前とされる。 目白不参堂は以前、文京区関口にあったあったが、戦災により焼失したため、本尊の不動明王を移して金乗院に合併した。本尊の不動明王像は、目黒、目赤、目黄などの五色不動の一つであり、目白の号は寛永年中(1624〜1644年)に三代将軍徳川家光の命によると言われる。
目白不動 金乗院 目白不動 金乗院 
目白不動 金乗院 目白不動 金乗院 
都電 荒川線 学習院下駅 都電 荒川線 学習院下駅 

明治通り沿いに南下、神田川に架かる高取橋で左折、新目白通りを早稲田に進む。

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早稲田大学〜胸突坂〜日本女子大〜雑司ヶ谷霊園〜池袋駅